はじまりは岡田さや加さん


Edit GIFUが発行されてまだひと月も経ちませんが、おかげさまで多くの方からいろんな感想や温かいお言葉をいただきます。中でも反響が多いのが、本の一番最初に綴られている「岡田さや加さんと柳ケ瀬」のこと。

さや加さんは、岐阜のまちなかにある大きな商店街、柳ケ瀬商店街で20年以上にわたって商売をされてきた女性で、今は「ミツバチ食堂」「ツバメヤ」「アイスクリーム松ノ屋」「Enza」と4つの店を営みながら、柳ケ瀬の活性化にも尽力しています。

というのは、ほんとうに表向きに、さらりとご紹介するとそんな感じにまとまってしまうのですが、いやいや、彼女のエネルギーや、人生というのは、もうほんとうにすごい。

 

数年前、「10年、20年後もこの柳ケ瀬がみんなに愛されるまちであり続けるために、何かをはじめよう」という彼女の思いから、若い店主や仲間たちと結成された「ハロー!やながせ」に私もメンバーとして参加して、古本市などのイベントを開催し、「柳ケ瀬BOOK」というリトルプレスを作って以来、彼女のことをいろいろと知るようになり、彼女の、ほんとうに男前なところ(笑)や、魅力がたくさん見えてきて、いつか、彼女の人生について聞いてみたい、それを書いてみたいな、と思うようになったのでした。

 

そしてある夜、取材という名目で飲みに出かけた私たちは、実は三軒をはしご。彼女の人生のあれこれを飽きることなく聞いた私は、最後はレコーダーがちゃんと録音になっているかだけを確認し、記憶もうつろなまま、タクシーで自宅へと送り返されたのでした。

 

それが、2016年のこと。Edit GIFUが完成するまでに、それから2年以上の月日が経ち、彼女の人生にはまたいろんなことが起こるのですが、それについてはEdit GIFUの最後に掲載している「夜の柳ケ瀬ツアー」で、触れています。

つまり、はじまりから、終わりまで、岡田さや加さんという存在が、Edit GIFUの中でも大きな役割を担ってくれているのです。自分の人生がここまで赤裸々に語られることに、「まさか、飲みに行っただけなのに、こんなに書かれるとは思わなかった!」と笑いながらも、快く掲載を了承してくれたその懐の深さに、ほんとうに感謝しきりです。

 

ここだけの話をすれば、これまで私が書いた文章の中でも、彼女の話は圧倒的に長く、書き上げるまでには迷いや時間もかかりました。大好きな鈴木るみこさんが執筆した「クウネル」の「愛はほわほわ」の号や、飛騨産業さんが発行している「飛騨」の暁子さんの号、そして姜尚美(かんさんみ)さんの「京都の中華」を何度読み返したことか。そして、最初はそんな憧れの文体を真似してみたものの、結局のところ、まったく違う、つまりはあるとするならば、私の文体というものが、いつしか立ち上がって完成したのだなあ、と思ったことが記憶に残っています。そして遂に、もはや“柳ケ瀬の顔”でもある、彼女の人生を、私なりの言葉で綴ることができたのは、とても嬉しいことでした。

 


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