ギフノートのこと

さて、ここであらためて、「Edit GIFU」が綴られることになった経緯を振り返ってみようと思います。

そこには、「ギフノート」というリトルプレスの存在があります。

 

2011年に「ギフノート」を発行したのは、岐阜のまちの情報誌の編集に携わっていた私と、友人でもあり、ともに編集やデザインに携わっていた編集者とデザイナーでもあった2人が、とあるカフェにでかけたときの、3人での何気ない会話がはじまりでした。

 

実は、ギフノートのウェブサイトは近々、クローズすることになっています。だから、ちょっとセンチメンタルな気持ちもあるかもしれませんが、ギフノートを綴ったときのブログのようなものを、こちらに転載しておきます。

 

 


*さあ、『ギフノート』ができました!*

投稿日:2011年10月3日

 

「岐阜を綴るちいさな手帖 ギフノート」は

2011年9月25日に無事、発行となりました。

はじまりは、ちいさなカフェでの会話。

「岐阜のリトルプレスを作ってみたいなぁ…」

「もし作るなら、あのカフェは絶対紹介したいよね」

「あそこと、ここと、それから…たくさんあるね!」

「サイズは鞄に入れて持ち歩けるくらいがいいかな」

「やっぱり、地図は欲しい。手描きの地図も載せたいなぁ」

「そうそう、あのギャラリーでね…」

 

自分たちの育った岐阜が大好きな仲良し3人組が

わくわくしながら始めた、リトルプレスの妄想編集会議…。

それは不思議なほど、最初から現実味をおびていて、

なんだか、この3人ならきっと、このまま本当に

本が作れちゃうんじゃないか、と思ったのです。

そして、気付けば「えいやっ」と、

3人で足並みをそろえ、実現へと踏み出していました。

 

…それからは、まるでジェットコースターに乗って駆け抜けるように

めまぐるしく、本当に楽しく、ときには苦しく、ドキドキの日々が続き…。

ついに、私たちの目線で岐阜を綴った『ギフノート』が完成しました!

そして、『ギフノート』は今、私たちのもとから、一冊、また一冊と、

誰かのもとへ、旅立ち始めています。

いつか、岐阜のまちかどで、『ギフノート』を片手に

軽やかに歩くあなたを見かけることができたら、

私たちは、ほんとうに、ほんとうに、しあわせです!

 

                      ベランダから、ひとつきり光る星を眺めて

                        涼やかな秋の気配を感じる夜に。

                           ギフノート編集室

 


おかげさまで、ギフノートは思いがけず、わずか3ヶ月ほどで完売となり、本当にジェットコースターに乗って駆け抜けるような、毎日がお祭りのような、慌ただしくも楽しくて充実した、濃密な日々はあっという間に過ぎ去っていったのでした。

 

今思えば、それは本当に愛しくて、ものすごい熱量を秘めた日々だったのだなぁと思います。

ギフノートを綴ったメンバーはそれぞれに、母になったり、岐阜から少し離れた場所へと移っていったりして、今ではなかなか会うこともままならないのですが、あの3人で過ごした日々や、私たちがギフノートの中で綴ったことや、ギフノートを読んでくれた方たちからの温かい声や、そういうすべてが、今、私の中にたしかな芯のひとつとして、すっと立っているのだと感じています。

 

ひょっとするとあれは、少し遅い青春、というものだったのかもしれません(笑) 

 

 


少し遅い青春から数年の時間が流れ、ギフノートを綴った3人がそれぞれにゆっくりと暮らし方を変えていったように、まちの姿も変わり、そして私の目に映る景色や、人とのつながり、視点もまた、変わっていきました。

 

今、私が暮らし、感じる、このまちの姿って、どんなものなんだろう。

 今も愛しいこのまちのことを、私を囲むごく小さな世界だけれど、心地よくそこにある景色や人々や美味しいもののこと、変わるものも変わらないものも。そっと、誰かに伝えたい。

いつしか、むずむずと、私の中にそんな想いがわきあがってきたのでした。

 

そうして2016年にEdit GIFUは、ギフノートとはまた少し違った視点で、岐阜というまちの、ささやかな一部を切り取りながら作られることになったのでした。

 

まさか2年以上の年月をかけてあまりにゆっくりと制作することになるとか、何人もの人々を巻き込んで編集することが面白くも予想外のことが起こりすぎるということとか、構想というより思いつきが先行するあまり、思いがけず総70ページを超える本になってしまうこととか、とにかく思いもよらないことばかりでしたが、やはり思い返すと、その編集の日々は不思議なくらい楽しかったのだ、としか思えません。

そして、たとえるならばそれは、ジェットコースターというよりはメリーゴーランドに乗っているような日々だったのかもしれないとも思ったりします。

 

今、どうにか完成にたどり着き、また誰かのもとへと一冊、一冊と「Edit GIFU」が旅立っていってくれていることは、やっぱり、「ほんとうに、ほんとうにしあわせ」なことなのだと思っています。


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